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宇佐見(うさみ)りんの生い立ちが気になる!両親の教育方針や育った環境とは?

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宇佐見りん 人物
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2020年に

『推し、燃ゆ』で

芥川龍之介賞を受賞し、

一躍有名人となった

宇佐見りんさん。

 

史上3番目の若さでの

受賞ということでも

話題になりましたね。

 

そんな宇佐見りんさんは

どんな生い立ち

どんな幼少期を

過ごしたのか。

 

またご両親の教育方針

育った環境などについても

調べてみました。

 

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宇佐見りんさんは静岡県出身で神奈川県育ち

 

宇佐見りん 正面 

出典:https://stillness.life/
名  前 宇佐見りん(うさみ りん)

生年月日 1999年5月16日生まれ

※2021年3月現在21歳

出身地  静岡県沼津市

 

宇佐見りんさんは

静岡県沼津市の出身です。

 

2歳まで沼津市に住んでおり、

その後は神奈川県

引っ越したそうです。

 

2歳というと

物心つく前なので、

幼少期はほとんど

神奈川県

過ごしていたんですね。

 

出身地である静岡県沼津市は

お母さまの実家があるため、

高校時代までは

毎年夏になると

2〜3週間滞在していたそうです。

 

静岡県に住んでいたのは

2歳までですが、

静岡県への思い入れの強さは

作品にも現れています。

 

芥川賞を受賞した作品

『推し、燃ゆ』の作中では、

主人公のおばあさんが入っている

病院の周辺の描写に

熱海市の海岸のイメージを

混ぜたりしているそうで、

幼少期の思い出に

静岡県の印象が強く残っていることが

わかりますね。

 

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宇佐見りんさんは歌や踊るのが好きな子供だった

 

宇佐見りんさんは

幼少期の思い出を

こんなふうに語っています。

 

子どもの頃にはよくわからずに歌っていたが、後年、歌詞の意味を知って赤面することがある。

恨んでも恨んでもからだうらはら、などと大人たちの前で歌っていたときのことを思うと、今でも胃の底が痛くなるほど恥ずかしい。

しかも踊るのが好きだったこともあり、ご丁寧に身振りつきであった。

祖父母の家にあったカラオケの機械は古い機種だったので、歌える曲といえば演歌くらいのものである。

『天城越え』だの『また君に恋してる』だの、大人な曲にバレエの振りを合わせ、珍妙な出し物を披露していたのを覚えている。

引用元:https://www.sankei.com/

 

 

親戚の集まりで

歌を歌ったり

踊ったりしていた

エピソードが綴られています。

 

親戚など普段会わない人たちで

集まると、

少しよそ行きな様子に

なってしまう子どももいますが、

宇佐見りんさんは

あまり恥ずかしがらない

タイプだったと

考えられますね。

 

大人な曲にバレエの振りを

合わせて披露していたという

エピソードから、

幼少期は習い事でバレエを

やっていた可能性もあります。

 

宇佐見りんさんの話し方や

振る舞いからも

品の良さが滲み出ているので、

ご両親の教育の良さ

感じられます。

 

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宇佐見りんさんのお父さんとお母さんの性格

 

family

 

 

宇佐見りんさんの

ご両親はどんな方なのか

気になりますね。

 

宇佐見りんさんの

話によると、

お父さまは歌が

あまり得意ではないそうです。

 

親戚の集まりなど、

どうしてもという場面以外は

歌うことのなかったお父さん。

 

その、

親戚の集まりでは

お父さんが歌が

あまり得意ではないことを

面白がって

お母さんは

あえてお父さんに歌を

リクエストするような、

お茶目な人なようです。

 

そんなお母さんの

リクエストを受けて、

恥ずかしそう

歌を歌っていたというお父さん。

 

静岡県民の特徴として、

男性はおっとりとして

協調性があり、

女性はサバサバして

男っぽい性格と

言われることがあります。

 

あくまで傾向として

言われていることですが、

恥ずかしそうにしながらも

リクエストに

応えるお父さんと、

そんなお父さんを

からかうように

楽しむお母さんの

エピソードは、

静岡県民の特徴

そのままあらわしているような

ご両親なのではないかなと

思います。

 

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宇佐見りんさんは小学3年生の時はじめて小説を書いた

 

宇佐見りんさんの

小説を書き始める

きっかけとなったのは、

小学3年生の時に

学校の授業

小説を書いたこと

だったそうです。

 

初めて小説を書いたのは、小学3年生の授業。

以後絶えることなく創作を続けた。

高校に入学してからは純文学を意識し、長編を手掛けるようになった。

中学、高校では演劇部に在籍。

俳句を学んだ時期もあったが、小説を選び取った。

「一人の人間の視野、内面的要素、身体感覚を伝えられる点で小説という表現がいいなと。自分一人で(作品に)向き合えるし、良しあしが全て自分の責任になる」

引用元:https://www.at-s.com/news/

 

小学3年生で

『物語をつくろう』

という授業があり、

その授業がきっかけで

小説に目覚めたようですね。

 

また、その後

小学5年生でも

同じように

小説を書く授業があり、

“教科書に掲載された写真から

1枚を選び、

そこから物語を

想像していく”

という、

子供の自由な発想を

とても大事にした

授業内容だったようです。

 

その時に書いた小説の

内容は、

勉強して短くなってしまった

鉛筆を土に埋めるという

お話しだったそう。

 

土に埋めた鉛筆は

やがて成長して“鉛筆の木”になる

というものだったそうです。

 

ストーリーからも

宇佐見りんさんの

心やさしい性格が

滲み出ていますね。

 

その後も文章を書くことが

大好きで、

携帯電話に小説を打ち込んで

友達と見せ合ったりも

していたそうです。

 

小学生の時の、

物語をつくるという授業が

今の宇佐見りんさんを

作り上げる大きなきっかけと

なったんですね。

 

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宇佐見りんさんの両親の教育方針とは

 

宇佐見りんさんの

ご両親について、

まだあまり多くは

語られていません。

 

しかし、

幼少期のエピソードから

ガチガチな高等教育を

受けさせるという方針よりは、

自由にのびのびと

育てるという教育方針

だったのではないかと

思います。

 

神奈川県に引っ越してからも

毎年静岡県で過ごしていたことを

考えても、

静岡県の自然豊か

のんびりとした土地に

ご両親も思い入れが

あるのではないでしょうか。

 

宇佐見りんさんは

ご自身について

『感動しい』

表現しています。

 

「よく映画を観て泣いています。

『感動しい』というか、短気なんですよね。

刺激を受け止めやすいというか、すぐに身体が反応してしまうところがあります。

高校の修学旅行で北海道に行ったときもそうでした。

バス移動でウトウトしていたんですね。

眼が覚めるとバスは、トイレ休憩のためにどこかの駐車場へ入るところ。

起き抜けで外に出ると、霜が降りるほど冷えた空気の中に、光がパアッと差してきて視界が覆われた。

すごく綺麗だったんです。

その光景に圧倒されてしまって、みんなはトイレに行ったり記念写真を撮っている中、ひとりでバスに戻ってえぐえぐ泣いてました(笑)。

引用元:https://bunshun.jp/

 

綺麗な景色を見て

感動する人は多いですが、

“えぐえぐ”という

表現を用いるほど

号泣する人は

なかなかいないのでは

ないでしょうか。

 

幼少期に自由な発想

大事にされてきた人だけに

芽生える感情なのでは

ないかと思います。

 

宇佐見りんさんのご両親や

身近な大人の人たちが、

とてもおおらかだったのだろうと

想像できますね。

 

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まとめ

 

まだ21歳という若さの

宇佐見りんさん。

 

3作目となる次回作も

現在すでに執筆中のようなので、

次の小説がとても楽しみですね。

 

最後まで読んでいただき

ありがとうございました!

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